偏見 / 差別
「老害」という言葉はどうかと思う。「最近の若いもんは」という言葉もどうかと思う。
マナーの悪さや迷惑行為、興味や様々な行動を、この一言で片付ける傾向がある。
【最近の若者は】
世間でよく言われるのが「最近の若者は言葉が乱れている」とか「最近の若者の言葉は意味が分からない」とかそういう事。
でも、話し言葉が変わったり、新しい言葉が生まれたりするのは今始まった事ではない。
あまり詳しくはないが、おじさんおばさん世代だって「ナウい」とか「あたり前田のクラッカー」とか「バッチグー」とか訳わからない言葉が生まれ、その世代の人が話していた口語だって明治時代の人から言わせれば乱れていただろう。
使われなくなった言葉は死語となり、世の中から消えていくものだし、話し言葉だって時代で変わっていくもので、江戸時代の話し言葉を今だに喋っている人はいない。
一方、昔から残っている言葉だってある。
以下過去の流行語大賞ノミネートの一部。
激辛1986
セクハラ1988
地球にやさしい1991
自己中2000
dv 2001
アラフォー2008
ゲリラ豪雨2008
大往生1994
援助交際1996
その年に生まれた新しい言葉や、今まで日本であまり使われなかった言葉がスタンダードになり、今だ数多くの人が日頃使っている言葉も沢山ある。
結局、自分の時代を棚に上げて自分の理解できない言葉や自分の時代と違う言葉使いを否定しているだけだ。
新しい話し言葉は新しい世代の物だし、それを理解できないからと言って否定するのは筋違いだと思う。
今後、新しい言葉や流行、言えていく言葉や残っていく言葉、流行る物事や消えていく流行もあるだろう。
でもそれはいつの時代も当たり前なことだと思う。
【老害】
それとは逆に自分に口うるさく言ってくる年配の人を「老害」の一言で批判して片付ける若い人もいる。
年配の人はもちろん若者より長い間生きている。人生経験豊かな存在だ。
自分の価値観を一方的に押し付けてくる年配の意見は聞く必要はないとは思うが、その人が過去に経験してきた教訓を伝えようとしてくれている人もいるだろう。その人が自分の為に助言してくれているのならば、口うるさいと思っても一旦持ち帰って、考えてみる価値は十分あると思う。
自分がこれから経験するであろう事を既に経験したひとの存在はとても貴重でそれなりにリスペクトするべきだと思う。
その人を自分なりに見極めて、そこから自分の為になることや自分の考え方にとってプラスになる事を学ぶのはとても大事な事だと思う。
【世代差別】
年配の方と若者それそれが、自分が理解できないからお互いを一言で片付け、批判するのではなく、お互いを尊重して、わからない事にも寛容になった方が良いと思うし、その方がお互いに良い関係が築けると感じている。
ここまで世代でお互いを批判する人に関して書いてきたが、結局批判すべきは自分の理解できない世代ではなくて、時代錯誤な行為や迷惑な行為、勘違いな価値観や善悪の分別のない行動をとるその人個人だと思う。
いかにも悪そうな格好をして歩きタバコをしている肩で風をきって歩いている若者もいる。5分も歩けば喫煙所がある。きっと我慢できない訳ではない。
これは偏見かもしれないが、「少し悪い俺」をかっこいいと思っているのかもしれない。でもそれはただの迷惑行為で、大多数はかっこいいとか怖いとかは思わない。
ワルはカッコいいみたいな時代もあっただろうし、私の若い時もそんな風潮は確かにあった。でも今はそんな時代ではない。
つまり時代錯誤だ。
一方、普通のおじさんが普通の顔して歩きタバコをしているのもよく見る。若い人が歩きタバコをしている姿より多く遭遇するかもしれない。
その人が若い頃は歩きタバコも当たり前で、誰も何も言わないし、迷惑だとさえ思われていなかったかもしれない。自分の時代では良かった事が今の時代でも許される事だとは限らない。ただの迷惑行為で、これも時代錯誤だ。
私は普通のマンションに住んでいるのだけれど、他の住人に挨拶した時、ちゃんと挨拶を返してくれる人に世代は関係ない。「ちゃんと挨拶くらいしろ!!」と思っている訳ではないけれど、笑顔で挨拶を返してくれる人もいれば、目の前にいるのに完全に無視する人もいる。やはり世代は関係ない。ただそこにいるのは相手の気持ちを考えない個人でしかない。
バイクで車で爆音を鳴らして移動する「移動するだけで迷惑」な人、犬の散歩で糞や尿を処理しないで放置する人、自分の成功体験を他人に押し付けで話す人、自分の時代じゃ当たり前だったと開き直る人。
多くの人はそんな事はしないと思う。
そこにいるのはただ善悪の分別のつかない「一部の」子供(この場合、親が悪い場合もあるが)、カッコいいとかそういう価値観をおかしく捉えている「一部の」若者、ただ時代錯誤に気が付いていない「一部の」年配者など、世代どうこうではなく全ての世代にいる迷惑な人でしかない。
世代で差別して一言で済ますのは良くないと思うし、行為自体を批判すべきだと思う。
【うつ病患者と照らし合わせて】
他の病気や障害でも同じだとは思うが、うつ病患者を「精神に異常がある人」と簡単に差別し、偏見をもつ人もいる。でもうつ病患者だって様々だ。
症状が重く起きられない位辛い時期や時間を過ごしている人もいるし、症状が軽くなって日常生活が普通に送れるようになったが日によって具合が悪くなってしまう人もいる。大分回復して働くことができるようになっている人だっているだろう。
症状自体だって気分の落ち込み、不安感、体が重い、眠れない、何にも興味が持てないなど挙げればキリがない。
人によって出る症状も違えば、その強さも違う。
日常生活を送るのが辛い、日常生活は普通に暮らせる、日によって全然状況が違うなど人によって様々だ。
それを「メンヘラ」だとか「病んでいる」とか場合によっては「精神異常者」とか言い、差別する人もいる。
「うつ病だから働けなくて当たり前!!」と横柄な態度を取っているのなら、その人個人が問題だと思うが、多くのうつ病患者はそうではない。
働けなくて、周りに迷惑をかけていないかと心配になり、罪悪感さえある。
休むことが治療な訳だから尚更だ。
昔みたいにみんなと遊びに行きたいけど行けないと悩む。
約束していても当日いけるか分からないし、自分の病気を理解してくれる人でないと中々付き合いは難しい人だっている。
死んでしまいたいと思っている人だっている。
これらは全て実体験だ。
私自身がうつ病なので、うつ病を例に挙げたが、うつ病だけでなくその他の病気や障害だって、同じ病名でも人それぞれ症状や状況は違うだろうし、一括りにしないでその人個人と向き合えば、きっとその人も心が少し楽になると思う。
病気、世代、外見、性別、職業など括られがちなことが多いが、そこで括って片付けてしまうのは自分にとっても良くない。括っていた人がある日突然括られる立場になることだってある。
ある日突然うつ病になることだってあるかもしれないし、事故で障害を抱える人もいるかもしれない。
実際、私はある日突然うつ病になった。
【終わりに】
ここまで世代差別や病気への偏見など色々書いてきたが、実際はそんなことしない人の方が多いと思う。この文章をここまで読んでしまったその様な方々、ごめんなさい。
ただ、多様性を認めて、少しでも寛容な世の中になれば、生きやすくなる人もいっぱいいるし、気持ちが楽になる人もいっぱいいると思った。
病気、世代、外見、性別、職業などで切って接するのではなく、その人「個人」と接する方が世の中も良くなるとも思った。
ただ理由なく他人に迷惑をかけるのは良くない。
なんか今回、説教臭かったかも。偏見を持った人が書いた偏見の文章になってしまっているかも。申し訳ないです。